内容紹介
「女性嫌悪」とされるミソジニーとは何か? 家父長制を維持するための「魔女狩り」のメカニズムを明らかにする 革新的なフェミニズム思想のベストセラー 「ミソジニー」についての初めての研究書であり、フェミニズム思想を刷新した注目作がついに翻訳。 なぜアメリカ大統領選でドナルド・トランプがヒラリー・クリントンをおさえ勝利したのか? なぜ性犯罪をおかした男性は免責される傾向にあるのか? なぜ「インセル」による女性の殺人事件が起こるのか? なぜ女性の証言は信用されないのか? なぜ堕胎を理由に女性は罰せられるのか。 なぜ戦時中の虐殺において、レイプがかならず含まれるのか? なぜ女性たちはいつも「与える」ことを期待されるのか? 社会生活と政治の中にある「ミソジニー」を、分析哲学的アプローチで探究することで「ミソジニー」を定義し直し、それがどのように機能しているか明らかにする。 【各誌レビューのご紹介】 私は長いあいだ性差別とミソジニーについて考え、教えてきたが、この本は新鮮な視点を開いた。たとえば、信念としての性差別と、執行戦略としてのミソジニーを説得力のある方法で区別している。(中略)ミソジニーというものが主として、女性の与えるサポート、サービス、ケアへの要求についてなのだという本書の議論は、たしかに、この激動の時代の物語の少なくとも大きな一部分だろう。(マーサ・ヌスバウム、哲学者・倫理学者) [著者が]ミソジニー理解を明らかにして、議論のために現実社会の実例をフル活用していることは、称賛に値するし、すぐれた哲学の典型となっている。(マリ・ミッコラ、哲学者) 絶好のタイミングで出版された本書は、私たちの前に現われる、いびつで根深い現象の理論的枠組みを提供してくれる……この本によって、個々のミソジニストを明らかにすることは難しいが、ミソジニーを根絶することはもっと難しいのだと気づくことができる。(カルロス・ロサダ『ワシントン・ポスト』) ミソジニーとは何か。性差別とはどう違うか。なぜ男性優位の状況が続いているように見えるのか。[この本の中に]答えがある。著者の主張によると、ミソジニーは女性に対する男性の敵意や憎悪ではなく、男性の支配にあらがう女性をコントロールし、罰することだという。 ミソジニーは、家父長制を強化する女性に報酬を与え、そうでない女性を罰する……この本は、私たちが社会で果たす役割、出生時に割り当てられ、ほとんど疑問視しない性的役割に注目し、そしてその役割を拒否する人々、とりわけ女性をどのように罰するか示している。(ショーン・イリング『Vox』) 分析道徳哲学のツールを展開して、ミソジニーの論理を印象的に説明している。…
レビュー
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みんなの引用・メモ
- 引用p.6はじめに
その他ーこれまた、すべてと言うほどではないにせよーの形態のミソジニー、たとえば女性著名人に向けられるそれは、そうした原型的ミソジニーからの派生であると言って構わないだろう。それが映し出すのはある種の剝奪の心性、すなわち、惜しみなく与え、ケアし、愛し、気を配ってくれる者としての女性を奪われ、代わりに権力欲が強く、思いやりのない、支配的な存在をそこに見る者の心的態度である。
Bびー2026年7月21日 - 引用p.6はじめに
私の考えでは、(私の生活する文化圏における)ミソジニーの大部分ーすべてと言うほどではないにせよーは、女性に課されたこれらの社会的役割が遵守されることを監視し、道徳的財や道徳的資源を女性から引き出すことを、そして、務めを無視したり、怠ったり、裏切る者にたいして異議を申し立てることを、その機能とする。
Bびー2026年7月21日 - 引用p.6はじめに
(前略)こうした男性が自らの社交圏内の女性を見たり、彼女たちとかかわったりする仕方に影響を及ぼすことになるだろう。具体的には、女というのは、自分や自分の仲間にたいして、先述したような、際だって人間的なサービスや能力の数々を提供する義務を負っている(だが、その逆は成り立たない)と考えるようになるのである。
Bびー2026年7月21日 - 引用p.405訳者あとがき
すなわち、ミソジニーは一つの秩序ないし役割規範を維持するという、その機能において理解されるべきだとマンは考える。あえて単純化するならば、ここでの一つの秩序とは、女性(というジェンダーに分類される人)を支配し、彼女たちの(社会的、感情的、および家事や生殖にかんする)労働を搾取する、家父長制という不平等経済システムのことであり、ミソジニーとは、ことを通じて、この秩序を維持、強化する仕組み、いわば、家父長制の法執行機関、処罰と報奨のメカニズムなのである。
Bびー2026年7月3日 - 引用p.404訳者あとがき
(前略) 彼女によれば、この語によって指示される事柄に共通するのは、それらがすべて女性を女性に「相応な」場所へと押さえつけることを目的とし、女性をおとしめ、卑小化し、面目をつぶし、品位を落とすよう意図されていることであり、つまり、ミソジニーの「根深い偏見」の核心には、場所または役割についての(強烈な)意識がある。
Bびー2026年7月3日 - 引用序論
(前略) これにたいして、私は、多くの場合、そこに欠けているのは女性の人間性についての意識ではないと論じる。むしろ、女性の人間性それこそが問題なのである。つまり、男性から見て、それが誤った相手にたいして、誤った仕方で、または、誤った意図をもって誰かに向けられるときに女性の人間性は問題となる。したがって、人として認知された存在vs.人間以下の存在(もしくは、心をもたないモノ)という二項対立について考えるのではなく、鍵となる対照関係を、「人間存在」の後半部分、つまり「存在」もしくは「あり方」のほうに見出す可能性を模索すべきである。第四章で見るように、女性は「与える者と受け取る者」の力学に巻き込まれているのであり、人間的存在(human beings)であると同時に人間的与える者(human givers)なのである。女性はそれゆえ自らの人間性を他の人間に負っていると見なされており、彼女の価値は、彼女が彼らにたいして、生命、愛、快楽、養育、支え、快適さなどの道徳財を与えるかどうかにかかっている。この点が理解されるならば、なぜ女性が彼女自身のまったき心をもつことを認知されながら、それにもかかわらず、(その心が誤った対象に、誤った仕方で、そして、彼女自身および他の女性を含む、誤った人々に向けられるたきに)、残酷で非人道的な仕方で罰せられるのか、その理由を理解することにもなるだろう。
Bびー2026年7月2日