奇跡の童謡  ≪夕焼小焼≫の作曲家を訪ねて

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奇跡の童謡 ≪夕焼小焼≫の作曲家を訪ねて

山内 喜美子

大空出版 · 2022年7月 · 304ページ

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内容紹介

防災無線から流れる≪夕焼小焼≫を誰が作曲したのか、ほとんどの人は知らない。1922(大正11)年に作曲されたこの童謡(うた)の失われた100年を求めて、筆者は作曲者を訪ねる旅に出た。 作曲者・草川信の出身地は長野県長野市県町(あがたまち)。松代藩士の家に四男として生まれました。父親の一成は明治維新後、県庁勤務から銀行へ入行。母親の幾久も松代藩の財務を担当する家柄で、好奇心旺盛で活発な女性でした。 信は喧嘩やいたずらが絶えない子供時代を過ごしますが、音楽の道を志した二人の兄の後を追うようにして東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)に進学します。卒業後は、成蹊学園などで教鞭をふるう一方で、雑誌『赤い鳥』などに寄せられた詩に曲をつけ、数々の童謡を作曲します。またレコード会社とも契約して、レコーディングや演奏会にも積極的に参加しました。 草川信の曲が『赤い鳥』に初めて掲載されたのは1921(大正10)年4月号。北原白秋の詩に曲を付けた≪夢の小函≫でした。以降≪夕焼小焼≫をはじめ≪揺籠のうた≫≪どこかで春が≫≪汽車ポッポ≫≪みどりのそよ風≫など、誰もが知っている多くの童謡を作曲したが、同じ道を志した長男の宏を戦争で失い、戦後まもなく患った肋膜炎のために55歳という若さで亡くなります。 草川信(くさかわ・しん) 1893(明治26)年、長野県長野市県町に生まれる。 1917(大正6)年、東京音楽学校(東京藝術大学)卒業後、渋谷区長谷戸小学校、東京府立第三高女、成蹊学園などに勤務。 1921(大正10)年、雑誌『赤い鳥』に参加。北原白秋などの詩に曲を付ける。また音楽指導にも多忙を極める。 1933(昭和8)年、音羽ゆりかかご会会長となる。 1948(昭和23)年、肋膜膿胸死。55歳。 主な作曲作品に≪夕焼小焼≫(中村雨紅)≪揺籠のうた≫(北原白秋)≪どこかで春が≫(百田宗治)≪汽車ポッポ≫(富原薫)≪みどりのそよ風≫(清水かつら)などがある。

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