読んで書く 歎異抄 一日一文練習帖[後編]
齋藤孝
自由国民社 · 2024年5月31日
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内容紹介
今から約700年ほど前の宗教書である『歎異抄』が、現代の人々に読み続けられ、今も人気があるのはなぜでしょうか。 親鸞が生きた時代は、戦乱の世の中で、病気や飢餓、大地震などの厄災が多い時代でした。 そのような時代の中で生きる人々は、少しでも安心して生きる道を求めていました。そうした中で説かれた親鸞の教えは、「念仏さえ唱えていれば、誰でも極楽浄土で往生して悟りをひらくことができる」という「他力」によるものでした。 ここ数年、世間では「自分軸で生きよう」という生き方の提案が多くなりました。自分軸とは、「自分はこうありたいという考えのもと行動すること」です。 その考え方自体は素晴らしいことですが、世の中には自分の力や思いだけではどうにもならないこともあります。 「他力」とは、これまで「人まかせ」「運まかせ」といった、やや無責任なことだと思われがちでしたが、これは自分の力ではどうにもならない、力の足りない自分から離れて、もっと大きなものにまかせている、という心の在り方です。 ある意味、客観的な見方によって、自分ではない別の大きな力にまかせるようにすると、心の重荷がとれる思いがします。 『歎異抄』で伝えている他力の教えは、決して投げやりで他人まかせではなく、自分の力ではどうにもならない状況で、しなやかに生きる心のあり方を説いています。 現代の人たちを惹きつける『歎異抄』を読む意味は、まさにそこにあると思うのです。 本書は原文の後半の全文と、その訳、そして『歎異抄』の内容をより理解して生かすためのアドバイスをつけています。 さらには、実際に自分で、声に出して読むこと(音読)、書き写すこと(なぞり書き)などで、言葉が身と心に沁み込んでいきます。ぜひ『歎異抄』の教えが、みなさんの生活に役立つことを願っています。 【目次】 第十三条 善悪にとらわれず、本願にすべてを任す 第十四条 念仏は罪を減らすために唱えるものではない 第十五条 今生に本願を信じて来世にさとりを開く 第十六条 悔い改めの回心は、一度かぎり 第十七条 信心に欠ける者も、真実の往生を遂げる 第十八条 金品ではなく、深い信心を投げかけよ 後 序 ただ念仏だけが、真実である [参考]流罪記録
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