西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ
永井均
KADOKAWA · 2018年11月22日 · 角川ソフィア文庫
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内容紹介
私の底に汝があり、汝の底に私があるーー。「私」と「汝」がともに「彼」に変容することが、言語の成立ということなのだ。西田哲学を他の哲学論と丁寧に比較、論じながら独自の永井哲学を展開。さらに文庫版付論・時計の成立「死ぬことによって生まれる今と生まれることによって死ぬ今」で、マクタガートの「時間の非実在性」の概念を介在させ、考察を深めた。無と有、生と死の本質にせまる圧倒的な哲学書。NHK出版『シリーズ・哲学のエッセンス 西田幾多郎<絶対無>とは何か』に新しく付論を加えて文庫化。 はじめに 第一章 純粋経験──思う、ゆえに、思いあり 1 長いトンネルを抜けると──主客未分の経験 無私の視点 日本語的把握と英語的把握 2 知即行──真理と意志は合致する 意志はどう捉えられるか 知識・倫理・宗教──主客の合一としての 3 デカルト vs. 西田幾多郎 観念論的要素を取り去れば 「われ思う、ゆえに、われあり」の第一の二義性 「われ思う、ゆえに、われあり」の第二の二義性 西田はデカルトの何を拒否したのか 第二章 場所──〈絶対無〉はどこにあるのか 1 言語哲学者としての西田 確信犯ウィトゲンシュタインとの対決 2 自覚──「私を知る」とはどういうことか 「英国に居て完全なる英国の地図を」 私に於いて私を知る 3 場所としての私 「私」は主格ではありえない! 私は存在しないことによって存在する 4 場所的論理──西田論理学の展開 「がある」と「である」 真の個物とは何か──超越的主語面と超越的述語面 場所の自己限定のプロセス 5 絶対無 無の場所としての意識 自覚において有は無化され、言語において無は有化される 第三章 私と汝──私は殺されることによって生まれる 1 思想の体系化 2 田辺元の西田批判 種の論理と場所の論理 「西田先生の教を仰ぐ」 西田と田辺の対立の意味 3 存在する私への死 私と汝は絶対に他なるものである 汝は神のごとく私の底から働く 私は主格となり、一個の自我となる 西田幾多郎小伝 読書案内 あとがき 文庫版付論 時計の成立 ──死ぬことによって生まれる今と、生まれることによって死ぬ今
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